車椅子生活5年目以降の心境の変化

車椅子での生活も、年数が長くなるにつれて心境の変化や価値観の変化が現れてきます。
それは周りの環境であったり、自分自身のメンタリティの部分で良いようにも悪いようにもなっていく可能性があるものかもしれません。
筆者は現在幸いなことに生活環境を少しずつ改善したり、行動範囲を広げて見たりすることで、最初に比べてかなり明るくなってきたと自分でも感じています。
どうせ一度しかない人生、車椅子でも思いっきり楽しみたい。
今はそんな心境です。
こうなるまでには色々とありました。
今回はどん底から這い上がるまでの経緯をざっくりまとめてみたいと思います。
突然の車椅子生活・・・

筆者の場合、それは急にやってきました。
突然、前触れもなく……(もしかしたら見逃していたのかもしれませんが)
様々な病院で検査を受けましたが、最初は今考えたらドクハラだったと思うような酷いドクターもいました。
医者もお手上げな感じでみてもらえず、仕事も失いパートナーも失い……友達も離れていったように感じていました。
歩けないのにその原因が特的できないため、身体障害者とも認めてもらえず、福祉制度も利用できなかったので本当に途方に暮れていました。
この当時は心が荒みまくっていて、家族との喧嘩も絶えなかったです。
家族も障害の受容ができていなかったし、もちろん私自身もできていませんでした。
心の中は本当に真っ暗闇で、先の見えないトンネルの中を彷徨っているようでした。
でもまだ、体の状態は今より全然良くて、確かつかまり立ちくらいならできていたような気がします。今考えたらめっちゃ動けるのにと思いますが、当時は世界一不幸な悲劇のヒロイン気取りでした。
福祉制度が利用できるようになって
様々な人の助言やアドバイスにより、受傷から約2年で身体障害者手帳を取得できました。これにより、さまざまな福祉制度が利用できるようになります。
ようやく自分の車椅子を作成することができ、送迎のある授産施設に通所できるようになりました。
引きこもっているよりは、気持ちは晴れやかになったと思います。
しかし、健常者時代の生活と比べると行動も制限されているし、施設に行っても社会復帰をしているという感覚はなく、漠然とした不安は拭えませんでした。
車の運転を再開して
車がないと移動が困難な地域のため、外出するには家族にお願いをしなければなりませんでした。
車の運転は通常足でアクセル・ブレーキを操作するので運転できると家族を説得するのも大変です。(障がい者でも運転ができる車の改造があります)
普通に生活をしていたら、車椅子利用者が主に使用する手動運転装置なんて知る由もありませんので……。
なんとか試乗やデモ車の見学を一緒にしてもらい、ようやく車で運転ができるようになりました。
やはり車があると行動範囲がグッと広がります。
自由に移動ができるようになった頃から、家族との関係も改善されてきたような気がします。家族に頼まずに、一人で出かけられるというのはとても大きいです。
電動車いすに乗り換えて
車の運転で行動範囲が広がったと喜んでおりましたが、この頃から体幹が不安定な感じになってきており、手動車椅子でスイスイ外を移動するのが困難になってきました。
今まで一人で出かけられたのに、人に押してもらえないと移動が難しい・・
職場の数百メートル先のコンビニまでも遠く感じる・・・
再び落ち込みモードです。
今までできたことができなくなるということは、本当にメンタルがやられます。
体幹の不安定さもあり、手動の車椅子もサイズや仕様が合わなくなってきており、電動車いすを申請することにしました。
しかし、電動車いすは手動車椅子の何倍も審査が厳しかったです。
許可されるまでに時間がかかり、車があって自由に行動できるはずなのに家と職場の往復しかできないのがジレンマでした。
申請が降りて、納車された電動車いすで犬の散歩に行った時は涙が出るくらい感動しました。
その後車にスムーズに車椅子を乗せられるように改造をして、それからはほぼ一人でいろんなところに行けるようになりました。
ここまでくると、行動範囲も健常者の頃とあまり変わらないような気がしています。
行動範囲が広がったことで
電動車いす+車でかなり自由に動けるようになりました。
自由なので、今までできなかったことを取り戻すかのように、様々なことに挑戦するようになりました。
そこではたくさんの人との出会いもあり、人との繋がりの大切さを今改めて感じています。
家と仕事の往復だと、家族と職場の人間としか会話もしません。
どうしても視野が狭くなってしまいますし、そうすると日常の些細なことでもイライラしてしまいます。
様々な人と交流をすると、心に余裕が持てるような気がします。
今は生まれて一番身体は動かないのかもしれないけど、一番楽しいような気がします。
そう思えるようになったのは、やはり仕事と家の往復から飛び出して、人と話したりしているからだと思います。
車椅子の大先輩と話をする機会もありましたが、やはり殻に閉じこもっていはいけないし、障害者も自分の未来は自分で切り開かなければならないのだと。
目の前が真っ暗な時は、トンネルを抜ける時が必ずくると言われても、上から目線うるせー!くらいにしか思えませんでしたが、今は必ずくると思えるようになりました。
トンネルを抜けるためには、自分自身も前に進んで行く気持ちが大切ですが。
車椅子生活はやっぱり不便には変わりないので、どうしても気分も浮き沈みがあると思います。
これを書いている今は浮いているけれど、また沈む時もくるでしょう。
でも、経験値が増えていけば、自ずと沈み具合は少なくなってくると思います。
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ブログの過去記事はたまに見直して場合によっては内容を書き換えたり、誤字を訂正したり、少しずつ行なっている最中ですが、その中で心境の変化、身体状況の変化を改めて感じることがありました。
当時の言葉は間違った情報を除き、あえて残していこうと思っていますが、今の考えなんかとは違う部分があったり……。
変えていく部分、残していく部分、ブログに限らず実生活でもその取捨選択は難しいことですが、必要なことだと思います。
今後もありのままを綴っていけたらと思います。
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